6/2 本能寺の変
皆さん、ご機嫌如何ですか?
6/2は本能寺の変が起きた日です。
明智光秀が織田信長を討った「本能寺の変」の動機面は怨恨(えんこん)説や朝廷黒幕説ではなく、粛清を恐れた場当たり的な出来事としか思えないんだよな~。
畿内で石山本願寺攻めの総司令官だった重臣、佐久間信盛、同じく重臣の安藤守就、極めつけは筆頭家老の林通勝。
皆、突然リストラされた。
明智光秀も同じ目に遭うのは目に見えていたに違いない。
当時の織田家における重役クラスは全員司令官的な地位にいた。
羽柴秀吉は中国方面
織田信孝、丹羽長秀は四国方面
滝川一益は関東方面
柴田勝家は北陸方面
織田信忠、河尻秀隆は甲信越方面
明智光秀は山陰道からの中国方面が最有力だったが、秀吉に出世争いで負けた。山陰道からの進路は秀吉の弟である羽柴秀長や尼子氏の残党に任された。
明智光秀軍は秀吉の援軍に回された時点で終わりだ。
行く場所が無い。これでは出世は無い。
もはや用済みとなる。
計画性ゼロで消される前に信長を殺ったとしか思えない。
あれだけ優秀な男が余りにも無惨な終わり方過ぎる。
パワハラに次ぐパワハラで精神的に追い込まれての偶発的な犯行だろう。
謀反を成功させるには細川、筒井、毛利、長宗我部、上杉、北条あたりと共闘しない限り、明智に1%も勝ち目は無い。
あまりにも杜撰だ。
歴史的大事件なので真相解明される事を願う。
それでは、またあいましょう!!
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