Nゲージ 寝台特急 さくら
皆さん、ご機嫌如何ですか?
さて、
今日はブルートレインを題材にした歌を取り上げたいと思います。
私は浜田省吾さんのファンでツアーにも足を運ぶのだが、そんな浜田省吾さんの曲です。
浜田省吾を知らない人も多いかもしれませんね~。長いキャリアの中で、大きなヒット曲と言えるものは1992年発売の「悲しみは雪のように」(売上170万枚、週間1位、年間2位)の1曲のみ。本人も「唯一のヒット曲です」と自嘲気味に話すことがあります。オリコンでは通算10週1位を獲得し、平成以降ではCHAGE and ASKAの「SAY YES」(13週)に次ぎ、歴代2番目の記録となったのですがね。。。私的には[悲しみは雪のように]以外にも沢山良い曲があるのですよ~。
いまでは白髪だらけになってしまいましたが、声は相変わらす素晴らしいです!
そんな浜田省吾さんの
『Midnight Blue Train』
という曲です。
以前に福山雅治が音楽番組に生出演した時の話です。ちなみに、福山雅治やミスチルの桜井は浜田省吾を超リスペクトしており、音楽を始めたきっかけになった人物と語っていました。
この日のテーマ“春の応援ソング”に浜田省吾の『Midnight Blue Train』を挙げた彼は、長崎から上京した時の思い出を語ろうとするが、司会のタモリと寝台列車の話で盛り上がる。
“有名人が選んだ春の応援ソング”として様々な著名人たちがVTRで思い出の楽曲を語った。スタジオに生出演していた福山雅治も浜田省吾の
『Midnight Blue Train』(1978年)
を高校生の頃からよく聴いていたという。
福山が長崎から上京した時に寝台列車に乗ったことを話すと、タモリが「おっ」と身を乗り出す。
さらに「寝台特急さくら!?」と聞いて「さくら!!」と嬉しそうにするタモリに、「今日は電車の話をするつもりではないので…」と福山も苦笑してしまう。
彼は当時、まだ飛行機に乗ったことがなく上京する時には寝台列車と決めていた。
「『Midnight Blue Train』しかない」と思い込むほどこの楽曲に影響を受けていたのだ。
「バイクを売って、全財産20万円を靴下の中に入れて…」と思い出を語り始めた。
しかし、途中からタモリが「当時、特急の寝台といえば(長崎から上京するのに)17、18時間かかったよね?」と電車の話題に切り替え、福山もつくば万博が開催された時に修学旅行で初めて上京したエピソードを語る。
その時は寝台列車ではなく、「電車の通路の床にゴザを敷いて寝た」と記憶をたどると、タモリが「団体列車だね。修学旅行専用列車というのがあった」と教えて、「あの頃は混んでたね~。網棚の上で寝ている人を見たことがある」と完全に電車モードに入った。
タモリが上京した時は「寝台特急あさかぜ」に乗ったという。「一両だけ寝台でなく座席の車両があり、寝台は高くて乗れずに座席に座って来た」と当時の事情を話し、「懐かしい…あさかぜはまだ車両が残ってる」と感慨にふける・・・。
福山が「寝台特急さくらは、なくなってしまいましたけどね…」とそれに続き、「特急トワイライト(寝台特急トワイライトエクスプレス)もなくなったしね」とタモリが口にしたところで「そんなことはどうでもいいんだよ!!」とようやく寝台特急の話を打ち切った。
ところがすでに番組のトーク時間は使い果たしていた・・・。
「今日は電車の話ではなく、ボクの思い出の話を…歌ですかっもう!」と福山も呆れており、まだまだ浜田省吾の『Midnight Blue Train』を聴いた頃の思い出を語りたかったようだ。
浜田省吾さんの『Midnight Blue Train』オススメします!
それでは、またあいましょう!
このブログへのコメントは muragonにログインするか、
SNSアカウントを使用してください。