直江津→春日山城
皆さん、ご機嫌如何ですか?
直江津から春日山へ移動しました。
春日山といえば、越後の龍と怖れられた名将、上杉謙信の居城があります。
難攻不落の名城。春日山城です。
ここまで来たら見物に行かねばなりません。
※昨年は松本城を見物
上杉謙信は1530年(享禄3年)、越後(現在の新潟)で守護代を務めていた長尾為景の息子として生まれます。幼名は虎千代。
父・長尾為景は越後国守護の上杉氏に仕えていました。1536年(天文5年)、父が隠居し、兄・晴景が長尾家の当主となります。
間もなくして父・為景が死去。
兄・晴景はまだ若く、家臣たちを取りまとめていく力などありません。長尾氏の周囲は次第に不安定になっていきます。
1543年(天文12年)に虎千代は元服して長尾景虎と名乗るようになり、翌年起きた越後豪族たちによる反乱を、わずかな兵を巧みに動かして見事鎮圧。
長尾景虎若干15歳にして初陣を勝利で飾ります。
その後も何度か戦に勝利し手柄を立てていきますが、そのことが兄・晴景との間に溝を作ってしまうのです。
長尾家当主の兄・晴景と、若いながら天才武将として頭角を現し始めた景虎。家臣たちの中にも景虎につこうとする者が続出します。そして1548年(天文17年)、上杉家が間に入り、景虎が兄・晴景の養子に入る形で家督を継ぎ、晴景は隠居。
景虎は19歳で長尾家当主となり、守護代を務めることとなったのです。
現在の新潟県上越市内にある標高182mの小高い春日山に築かれた、春日山城というお城が、上杉謙信の居城でした。この城は、もともとは越後国守護であり長尾家の主君であった上杉氏が越後府中の館の詰め城として築いたもの。
凄まじい山城です!
そこを父・長尾為景が切り開き、天然の要害と言われる難攻不落の城を築き上げ、その後謙信がさらに強固な城に作り上げていきました。山の地形を活かし、やや北側に設けた本丸を中心に高低差を利用して曲輪を階段状に配置した、守りの固い連郭式山城。まだ石垣こそないものの、裾野には1㎞以上にも渡って築かれた土塁と堀が特徴的で、周囲には支城や砦を張り巡らせています。
上杉謙信が必勝祈願した祠。
天守閣からの眺め
ん・・・。
原発?
上越火力発電所。
謙信の養子となった上杉景勝も春日山城を居城としますが、1598年(慶長3年)に豊臣秀吉の命により会津へ移動。
さらに江戸時代に入ると交通の便の悪さなどから別の場所に城が建てられ、1607年(慶長12年)、春日山城は廃城となるのです。
勿体無い。
春日山城を登り疲労困憊。
スキーの後にも関わらずとんでもないハードな体験だった。
せっかくなので、日本海を眺めて帰りたいと思います。
太平洋とは色が違うね。
それでは、またあいましょう!!
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